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Punkjazz, Who?

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punkjazzの好物

ミュージシャン/グループ, コンポーザー, プロデューサー:

  • Stax/Voltレーベルのいろいろ
  • Hiレーベルのいろいろ
  • Motownレーベルのいろいろ
  • Frank Zappa
  • Miles Davis
  • Bill Laswell
  • Paliament/Funkadelic
  • Prince
  • Weaher Report
  • Brand X
  • Cream
  • Steve Khan's Eyewitness
  • Bartok
  • Stravinsky
  • Todd Rundgren
  • Brian Eno
  • Daniel Lanois
  • Kip Hanrahan
  • etc.

ベーシスト:

  • Anthony Jackson
  • James Jamerson
  • Jaco Pastorius
  • Percy Jones
  • Bill Laswell
  • Mick Karn
  • Pino Palladino
  • Jonas Hellborg
  • Richard Bona
  • Linley Marthe
  • Will Lee
  • Fima Ephron
  • etc.

ドラマー:

  • Dennis Chambers
  • Omar Hakim
  • Steve Jordan
  • Gene Lake
  • JoJo Mayer
  • Juju House
  • Bonzo
  • Tony Williams
  • Yogi Horton
  • etc.

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punkjazzって誰?

1958年11月生まれ。蠍座、血液型A型

小学3年生の時、ベートーヴェンのピアノソナタを聴いて音楽に目覚める。足踏みオルガンを親にねだるが、飽きっぽい性格を見透かされて却下。紙に鍵盤を書いた教材でオルガンの練習を始めるが、やはり1日で飽きる。小学校時代はサイモン&ガーファンクル、スリードッグナイトがお気に入り。

中学1年の時、吉田拓郎、RCサクセション、遠藤賢二ら当時のハード・フォークに影響を受け、フォークギターを始める。

中2、Musiclife誌でT-REXのマーク・ボランがゴールドトップのレスポール(DXか)を抱える写真を見て、あまりのかっこよさにインパクトを受ける。以来、ロックに傾斜。グヤトーン製のバイオリン型エレキギターを錆ありのデッド・ストック(ほんとに死んでる)で入手。当時の田舎町にはエレキベースを売っている店はなく、このギターでベースラインを弾く。

当時大流行のキャロルのコピーの他、オリジナル曲を数曲演奏。うけない(^^;)

高校時代はおきまりのディープ・パープル、バッド・カンパニー等に始まるが、さすが地元関西地方、京都系のブルースバンドやサウス・ツゥ・サウス、ソー・バッド・レビューなどの大阪系R&Bバンドの影響大きく、どんどんとルーツ・ミュージックに入り込む。曲はオリジナル中心。ジミ・ヘンドリックス、クリーム、オールマンズ等のブルース・ベースのロックにもはまる。<髪型は腰まで伸びた長髪>

18歳で進学のため上京。当初は大学の正規のクラブであるナレオに入部。上級生がダンパで演奏するタワー・オブ・パワーやKC&ザ・サンシャンバンド等のボーヤとして、楽器運びに活躍、ローズのスーツケースを一人で持てる奴がえらかった。同級生ではスタッフやボズ・スキャッグス、ホール&オーツなどをやった気がする。<髪型はカーリーの長髪>

先輩たちとケンカし、ナレオをやめる。クラスの同級生に誘われ、GECという音楽サークルに入る。のちにこのサークルから、カステラや真心ブラザーズ等、いろいろ出たらしい。

---いろいろやる。曲はオリジナルばかり。<髪型は長髪→角刈り。冬でも雪駄でチャリチャリ>

バンドは、覚えてる範囲で、バンドエイド女学生の友シテイボーイズ(シティじゃなくて「してい」ね)、浣腸エクスプレス

(中略)

1979年頃、ファンキーと流石小五郎らとで、爆風銃というバンドを結成。このころから弾く楽器はベースがメインとなる。このころはフェンダーJBの66年製、ホワイトでマッチングヘッドの楽器を主に使用、あとはフェルナンデスのPBスルーネックをフレットレスに改造した物、ミュージックマンのスティングレー'77年製。<髪型はニグロ→アフロ>

芝の郵便貯金だったか、ウエザー・リポートのライブでジャコ・パストリアスを見る。めちゃくちゃな奴だ、と最高の印象。

(また中略)

就職もせず、誘われたホット・マネー(後にノーザン・ライツと改名)というデビュー前のバンドに加入。その後、東芝EMIと契約、プロモーション(TV・ラジオ局、有線回り:ヨロシクオネガイシマース)、TV出演(当時はお笑いブームで、芸人さんとのカップリングが多かった)、ライブ(新宿ルイード、渋谷エッグマン、四谷フォーバレーにはよくお世話になりました。が、しかし、いわゆる営業を含む→伊豆で野外のロックフェスというはずが、温泉旅館で演芸の一こまだったりもした。)、ときどきレコーディングという生活に入る...が、売れない。当時のプロデューサーは石坂敬一氏(現・ユニバーサル ミュージックCEO)、担当ディレクターは三宅彰氏(現・EMIミュージック・ジャパン、宇多田ヒカルのプロデューサー)と、豪華な布陣。売れなかったのは素材が悪かったのか、それとも演歌系事務所のどすこいマーケティングのせいか、はたまた両方か。。。<髪型は普通に長髪>

(またまた中略)

1983年か1984年、某デザイナーズ・ブランドのアパレル会社に入社。<髪型はテクノカット、一時モヒカン>

現在、とある銀行系の研究所でコンサルタントとして勤務。

1990年、旧ノーザン・ライツのキーボード H師匠らとバカ・フラワーというバンド名でいか天に出る。H師匠が申し込んだら、デモビデオを送れ、と返事が来たらしく、即席でバンドをでっちあげて、曲もでっちあげて、スタジオ練習1回、2回目は録りってスケジュールでやっつける。ニューヨーク・アンダーグラウンド風味のパンクバンドだが、アカペラのラップとかも即席で録画した覚えがある。と、いうか、証拠のビデオもまだあるゾ。

いか天では完奏したけど、チャレンジャーにはなれず。まあ、もしなれても、当時のチャンピオンはたまだったから、勝ち目はなかった。ベスト・プレーヤー賞というプラスティック製の楯をもらって帰ってきました。

現在の音楽的な活動は、以下。

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現在の活動

1998年頃から、ご近所の方たちの3街区バンドにギターで加入。エリック・クラプトンほかコピー曲をやるバンドで、主に地元の夏祭り等の野外ステージ、体育館ステージ等で活動。実は演奏が余興で、打ち上げが本業という説も。

2004年頃からは本業のベース弾きとしても活動再開、Obligato/Animateレーベル関係の" Play by Ear"、Jad FairやCOSTESとも活動を共にするダブリン在住のYXIMALLOO氏のライブサポート、千葉周辺をねじろとする超フリー・インプロ集団 " Assemble a Crue"などで活動。また、江戸下町の Knitting Factoryともいわれる、平井あるとべんり・フリーセッションにも頻繁に出没

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